全国東西リーグ2011進出チーム

東日本リーグ
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西日本リーグ
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全国リーグへ―雑草をエリートの中で鍛える―

カフーも、ダービッツもカーンも、サネッティも落第生だった。  

エルゴラッソ特集号より

伸びない木々と、生えてくる雑草と。大樹も雑草も両方必要だ」
エルゴラッソ高円宮杯特集号。衝撃的な巻頭文が、冷静なリアリズムな視点で、育成年代の現状と問題や全国リーグ変更の先の危険性や予見も愛情深く上記の表題で書かれている。(もちろん筆者は誰よりユース年代に詳しい川端氏だ)

強烈なJFA指導者の底浅さ・劣悪ソフト、才能の見方の一面性、人間性育成の無能などの批判を含めレベルが高く痛快だ。
もちろん掲載は著作権違反掲載なので、
詳しくはエルゴラッソ高円宮杯特集号をご購入され、エルゴラッソをご購読ください(笑)
 
 
伸びない木々と、生えてくる雑草と 大樹も雑草も両方必要だ
 
あれが到達点なのか
 2010年6月、日本代表は非ホーム開催で初めてとなる決勝トーナメント進出を果たした。
 これを成果と見るのか、それとも限界と見るのか。その立ち位置の問題である。      

 意外に思われる向きもあるかもしれないが、日本サッカー協会の技術畑にいる主流派は「限界」と見なす人ばかりだ。「岡田はよくやったが、あの選手たちではあれが限界。育成が悪い」という考えだ。第一線に立つU-19日本代表の布啓一郎監督(P36〜)もその一人。彼のインタビューではそうした協会側の視点の一端をうかがうことができると思う。  
 05年以降、日本サッカー協会が目指してきた方向性は“階層化”である。“エリート化”と言ってもいい。来年から新規に作られる全国東西リーグを頂点に、地域プリンスリーグ、都道府県リーグと広がるピラミッド構造(P34〜)は、チームの格付けとしても機能する。当然ながら、上のリーグに定着しているチームは有力選手を集めやすくなるし、逆もまた真。この体制を続けることで、ある程度まで選手を集約する効果はあるだろう。集約されたハイレベルな選手たちが日常としてゲームをこなすことで、より高いレベルを体得するという協会側の主張する思惑は理解できる。だが、どうだろう。前技術委員長の小野剛氏は「高いレベルのチームは高いレベル同士で……」と講演で語っていたが、これは「低いしベルのチームは低いレペル同士で」というニュアンスも内包していることは無視できない。その目的の一つは、(階層が)上のチームが下のチームと試合をする機会を減らすことでもある。 
 階層化の進展と同時に、クラブと高校が垣根なく競うカップl戦、つまり現行の“高円宮杯”は今年が最後となった。曲がりなりにもすぺてのチームに門戸が聞かれていた大会だったが、エリ−トチームと雑草チームを分化していく方向性を目指してることを考えると、これは必然なのだろう。例えば、来年の米子北高はプリンスリーグ中国1部。全国東西リーグに昇格する広島ユースはもちろん、他のクラブチームとも公式戦で対戦する機会は完全になくなる。間違いなく彼らはJクラブとの対戦を通じて何かを得ていたはずで、逆に彼らの特異なカウンターサッカ−と対峙した“階層”が上のJクラブの選手たちも何かは得ていたと思う。だが、そうした刺激は消滅する。
 東京都のある街クラブのジュニアユース関係者は「子供たちはJとやるのを毎回本当に楽しみにしていたのに……」と、リーグ化が進んでクラブユース選手権の予選などでJとの対戦が減少し、刺激が少なくなってしまった現状を嘆いていた。高いレベルのチームにとって、低いレベルのチームとやるのは億劫でしがないだろうが、逆の立場にとってはレベルアップとモチベーション獲得の貴重な機会である。“階層化”の進行が、いわば“底下げ”を招くのではないかという危惧は、恐らく一面では正しい。 
 
そもそも才能は見えない
 W杯の話に戻るなら、あの場に立った日本代表にどれだけの“エリート”がいたのか。階層化を進めることで誕生するエリートチームに有力選手が集まる……と言っても、中学卒業時に“有力”だった選手があの中に何人いることか。
阿部勇樹はそうだろう。駒野友一もそうだ。遠藤保仁もそうかもしれない。大久保嘉人もそうだと思う。では、長谷部誠はどうだろう?長友佑都は愛媛のセレクションを突破できなかっだのではないか。今野泰幸は仙台のユースから“落第”と言われていなかったか。本田圭佑はG大阪のジュニアユースでレギュラーにもなれていなかった。川島永嗣が初めて全国区の選抜に入ったのは高校3年のときだ。中村俊輔や中澤佑二については、指摘するまでもない。
 なぜ彼らを発掘できなかったのかというのは興味深い命題ではある。長友や今野を発掘できなかった理由は分からないでもない。トレセンやセレクションでは「持久力という本来サッカーで極めて重要な能力を軽視するし、守備の才能は相対的に発揮されるもので、分かりにくい。ただ、それだけではない。現在のU-16日本代表(P42〜)には鈴木武蔵という非常に分かりやすい才能を持ったストライカーがいて、協会内でも「掘り出し物」と言われているそうだが、彼も県トレセンレベルで情報が止まっていた選手だった、「何故あれほどの素材を高2になるまで発掘できなかったのか、遅すぎる」と西村昭宏技術委員長(育成担当)が嘆いていたそうだが、それも無理はない。彼はトレセン経由での発掘ではなく、代表監督の一本釣りでの発掘だった。彼がたまたま早生まれでなかったら、そのまlま発掘されずに卒業していった可能性は高いとすら思う。
 田嶋幸三副会長は、インタビュー(P9〜)の中で協会の「見る目」が進歩していることを主張する。もちろん一理はあるのだろうが、劇的に発掘システムが改善しているわけではない。むしろ階層化したことで、“下の階層”に行ってしまったチームの発掘が難しくなっていく面すらある。下のチームは刺激が薄くなるので、ブレイクの切っ掛けがなく、気付かれないのだ。リーグ戦で試合数が増えるから気付くようになるというのは幻想だろう。例えば、鈴木を、あるいは長友を、階層の下同士で戦っていた彼らを何度見たところで、気付くことはできなかったと思う。
 「日本人指導者の見る目がある、ない」といった程度の低い話をしたいわけではない。カフーも、ダービッツもカーンも、サネッティも落第生だった。サッカー先進国でも選手の才能を見誤ることなど当たり前のように起きている。若い選手の才能は、分からない。見誤る。むしろこれは、前提である。        
 “階層化”というのは強化のための一つの方向性だろう。ただそれは本来、人材の流動化とワンセットでやらないと“底下げ”につながる危険な手法だ。トレセンやセレクションを経由して出てくる有力選手は、本当に才能のある選手と決してイコールにはならない。現在の日本では、関東2部の○○高校で活躍した選手が、東日本リーグの○○ユースに引っ張られるといったことは極めて例外的にしか起きない(これは東日本リーグで通用しなかった選手が関東2部で出場機会を得るといったことが起きないという意味でもある)。下のカテゴリーで活躍した選手を上に引き上げ、上のカテゴリーで出場機会のない選手が下に居場所を求めるといった、階層化している先進国では当たり前のことが日本でも日常化するなら、階層化は選手育成の観点から有用だろう。協会がそこまで見据えているなら面白いが、現状はJクラブ間の移籍すら(むしろこの移籍こそ)厳しい制限が付く。これで果たして階層化が育成システムとして機能するのだろうか。“エリート敦育”を高らかに謳うJFAアカデミーですら、伸びない選手を切ったり、新たな|出てきた才能を迎えたりといったことはできていないというのに。 
         
伸びない木々がある
 W杯の代表に非エリートが多かったという事実から、「才能が発掘されていなかった」と見る人もいれば、「才能のあるエリートを伸ばし損なった」と見る人もいる。個人的には、後者も一理あると思う。今回のW杯に若手で選抜された選手たち(本田、長友、岡崎慎司、内田篤人)が軒並み非エリートであるのが単なる偶然だとは思わない。
 どうにも協会を中心としたエリート教育がうまくいっていないという思いはある。2年前のSBSカップでそれを痛感した。この大会でU-19日本代表は酷い成績と内容で惨敗。ただ、何よりショックだったのは、主軸選手たちの□から新参の選手たちに対する悪口が敗戦のたびに間こえてきたことだった。
 「あいつがファウルしてばかり。俺は悪くない」
 「あの失点はあいつのミス。俺は悪くない」
 「あいつが機能しなくて崩せない。俺は悪くない」
 要約するなら、こんな感じだろうか。中学1、2年から、エリートプログラムに選ばれ、世代の主軸と期待され、見込まれ、育成されてきた選手たちがグループを形成し、何故か後から伸びて代表に入ってきた階層が下のチームにいた選手をけなし、「俺は悪くない」と主張してくる。
 確かに出来の悪い選手はいた。監督やコーチの準備が悪かった面もあるかもしれない。ただ、この大会が初めての国際試合の選手だっていたのだ。そういう選手がうまくいかないのはある意味で当然で、だからこそ小さい頃から大金を投じて国際経験を積んできた彼ら‘エリート’が助けてあげるぺきではないのか。チームの勝利のために。そもそも、そうしたリーダーを育てるためのエリートプログラムではなかったのか………。
 当時この話をどう書こうか迷っていたのだが、なにせアジア予選直前である。チームが壊れそうになっているように見えたからこそ、怖かった。結局、「お前ら、もっとまとまってくれよ」といったオブラートに包んだ内容で、明確には書かなかった。はっきり言って、ジャーナリスト失格である。明確に書くぺきだった。
 韓国にあり得ない内容の歴史的惨敗を喫し、すべてが終わったあとで、チームがアジア予選の過程で空中分解してしまったと聞いた。今回、布監督に対して率直に聞いたのは、2年前に牧内辰也監督(当時)にぶつけなかったがために後悔した質問でもある。
 実は先日、思い切って大熊裕司氏(当時コーチ。現・C大阪U-18監督)にもこの件を聞いてみた。「あれは僕らコーチ陣の責任です。きちんと選手を導けなかった」と率直な答えを返してくれたのだが、当時の首脳陣だけが悪いのかと言えば、それは違うとも思っている。代表に選ぱれる、もっと以前の段階での“何か”に問題があるのだ。
 もちろんエリートプログラムに選ばれた選手全員がそうだったといった暴論を唱えたいわけではない。当時のU-19代表で、その現状を憂えて奮闘していたある選手も、エリートだった。そこに問題を特化する気もないのだが、日本のエリート教育がどうしても選手や親の特権意識と結び付いてしまう以上、限界もあるとは思う。特にエリートと認定されたあとに、U-15〜U-17にかけて、U-17W杯を目指した厳しい競争にさらされることのない奇数年生まれのエリートたちの育成には、特に難しい面がある(U-17W杯が2年に1度であるために起こる現象だ)。1989年生まれの、あるエリートの父親から「息子の将来はこんなにバラ色だ」と自慢されたことがある。自分はやんわりと「この年代で選ばれている選手のほとんどは大成しませんよ」と応じたのだが、「それは昔の話。今は選手を選ぶノウハウが確立しているから違う」と強硬に反論されたことがある。協会の指導者にそんなことを言われたのだそうだ。残念ながら、その選手はドロップアウトしていったわけだが……。エリートプログラムと狭問の世代の年代別代表は、もう一度考えたほうがいい。
 階層化していくのが既定の方向性ならば、どうやってエリートを育てるのかは重要な課題だ。技術や戦術、フィジカルもそうたが、もっと根本的な部分についても。同時に雑草を見付け育む努力も、階層化する以前よりも深く考える必要がある。それは各年代別代表監督の努力に任せていればいいという問題ではない。
 
これはある意味、雑草を見つけ育むエールだ


見切り発車どう見る
 
通年化+東西化。リーグ時代の黒船到来
21年目を迎える高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権だが、今回で現行形式における歴史的役割を終えることとなりそうだ。来年度から始まるのは上から下まで貫く年間を通じたりーグ戦。プリンスリーグの上部に東西リーグが新規に創設され、ユース年代の大会はその様相を一新することとなる。あらためてその実態を検証してみた。

“見切り発車”の断行
 「年間を通したリーグ戦の文化が必要なんです」
 09年1月の金沢。日本サッカー協会が主催するフットボールカンファレンス。そこで熱弁を振るう布啓一郎氏(当時・技術委員会副委員長)がいた。
 全国9地域での高校年代のリーグ戦であるプリンスリーグが創始されたのは03年。今年で8年目を迎えてようやく定着してきたところだが、日本サッカー協会は早くも次の一歩を踏み出す意志を示している。転換点は大きく二つ。その第一が“通年化”だ。
 現行のプリンスリーグの開催期間は地域によって多少違うが、おおよそ4月から7月の4ヵ月間。春から夏にかけての“半期リーグ”である。一部特殊なレギュレーションを敷く地域もあるものの、基本的に1回戦総当たり。開催地は大会運営側が設定し、割り振っていく形式をとっていた。これを2回戦総当たりに改め、同時に開催地も完全なホーム&アウェイ方式に変え、さらに開催期間も春から冬(4月〜12月)に変更するというのが“通年化”の趣旨だ。ホームチームには運営責任を課し、グラウンドの提供義務も課す。もちろん、これは私有しているグラウンドである必要はなく、公共施設を借りてもいい。部会などでは「グラウンドを用意できないチームは参加しなくていい」という過激な発言もあったという。日本サッカー協会は“受益者負担”という言葉を用いながら、この手弁当型のホーム&アウェイ方式を定着させたい考えを示し
ている。ハッキリ言ってしまえば、協会にはお金がない、しかも今後さらになくなる恐れがあるので、安定して大会を継続するためにも各地域やチームに負担してもらおうという考え方である。これで都道府県リーグレベルを含めて、通年化したホーム&アウェイのリーグ戦を実現したい考えだ。小中学生年代でも同時に同様の改革を実施する意向で、果たして会場が確保できるのか、参加できないチームが出てくるのではないか、日程はちゃんと消化できるのかといった疑問点は尽きない。恐らく協会も全部うまくいくとは思っていない。ある意味で“覚悟の見切り発車”である。

やりながら正すのみ
 もう一つの大きな方向性が“東西化”である。プリンスリーグの上部に、新リーグを創設するという考えだ。全国を今季のプリンスリーグの戦績に基づいて東西10チームずつに分割し“通年”でのホーム&アウェイのリーグ戦を行う。最終的には東西の王者が冬に対戦する形で、日本一を決める形式となる見込みだ。
 この東西リーグでは、さすがに移動距離が長くなるので、交通費なども一定額が補助される見込みだ。しかし、通年化するにもかかわらず、プリンスリーグの補助などか縮減されるのは、この煽りを受けているとも言える。
 各地域からエリートチームを選抜することで、「より高いレベルでの経験を積める」(布氏)のは確かだろうが、一方で青森山田のいない東北、札幌U-18のいない北海道、広島ユースのいない中国など、コアとなってきた地域の盟主を失った各地方のプリンスリーグの大幅なレベルダウンは必至。プリンスリーグは高円宮杯につながる大会でもなくなるので、通年化して試合数は増えたものの、モチベーションは今一つといった事態に陥ることも懸念されている。
 これらはエリート化、階層化を目指す日本サッカー協会の施策の一環だが、その結果として“底下げ”が起こったのでは本末転倒だ。ただ、こうした施策は何とかしてトップのレベルをさらに上げなければ、世界と戦えないという協会の危機感の裏返しでもある。もちろん、大幅な負担増について、現場から批判の声が相次いだのも無理はない。プリンスリーグかボトムアップの形で始まったリーグなのに対し、今回の東西リーグはトップダウンで強権的に決まった。そのことへの感情的な反発もあるだろう。
 個人的には都道府県リーグまで焦ってホーム&アウェイの通年化する必要はないとも思う。ただ、継続は力なり。多くの問題は時間が解決するのではないか。協会はしきりに「文化にする」という言葉を繰り返していた。確かに今やプリンスリーグのない高校年代など考えられないが、8年前はそうではなかった。“日常化”一つのキーワードだ。千葉U-18の大木誠監督はこう語った。「10年前、千葉では高校とクラブが試合をする機会はありませんでした。それが10年で変わったのはスゴイこと。このリーグもやってみなければ分からない。『負担がかかり過ぎる』とか、やらずして言うより、やってみるしかないでしょう」。
 もはや方向性は定まった。やるしかない。あとはやりながら柔軟に運用し、正すべきことがあれば、随時正していくことが肝心だ。


東海のレベルは落ちるだろうけど攻撃的なサッカーはしやすい。
静岡学園高校 川口修監督
 「レベルは確実に東海のプリンスリーグよりも高い。選手にとっても成長するためには少しでもレベルの高い試合ができたほうがいい。確かにJの2チーム(清水、名古屋)が抜けることで東海のレベルは落ちてしまうと思う。JとやりたいけれどJとやれない状況になる。下のリーグにも日本を代表し得る選手はいるけれど、彼らがその経験をできなくなりますね。
東海のプリンスリーグでは上位の2、3チームが高円宮杯に出られて、下位のチームには降格がかかっていた。これまでは相手が引いてきたりして勝負にこだわった戦いばかりになっていたが、全国リーグでは順位に捉われないで、自分たちのやりたいサッカーができるような気もする。質、内容にこだわった自分たちのサッカーができると思う。
育成年代は自分たちで仕掛けられる攻撃的な選手を育てていかないといけないですからね。