100万回触れ。
 から30年以上前、まだ日本サッカーの主流がスイーパーシステムによる堅守からのロングボール=速攻だった当時、革命的なサッカースタイルでサッカー界に衝撃を与えた指揮官がいた。

 井田勝通-いだまさみち。

 1976年(昭和51年)度の全国高校サッカー選手権に初出場した静岡学園高(静岡)を率いた井田は周囲からの「あんな遅いサッカーじゃ、ダメだ」という批判の中、ドリブルとショートパスに徹底的にこだわった遅攻ベースのサッカーでチームを決勝まで導き、連覇を目指した浦和南高(埼玉)に敗れたものの4 ─5という壮絶な撃ち合いを演じ、それまでの日本サッカーの常識を覆した。
 以来「攻撃サッカーの元祖」と称される静岡学園、そして井田は1995年度の全国高校選手権優勝、2003年の全日本ユース(U─18)選手権大会で決勝進出を果たすなど高校サッカー界を代表する存在として名を馳はせてきた。カズこと三浦知良【みうらかずよし】(静岡学園高中退)と三浦泰年【みうらやすとし】の三浦兄弟をはじめとして、これまで実に61名ものJリーガーを育てている育成のスペシャリストであり、偉大なる“革命家”。2009年に監督からこそ退任したものの、現在も静岡学園の選手を変わらない情熱で指導している井田は、どのような視線で日本サッカーを見つめているのか。
 
 サッカーは攻撃するからこそ進化する。
 
「サッカーの醍醐味は攻撃。攻撃して勝つ、点取って勝つというのが基本だからな。いかにいい攻撃して、いいサッカーをして勝つかというのがオレのポリシーだから。勝つための手段はいろいろあるけど、オレの場合はまず攻撃だから攻撃的な選手を育てる。攻撃的な選手の基本はボールコントロール。ボールを一発で自由に扱える。そこからドリブルができる。いつでも相手を抜ける。これが基本だと思うし、小さいうちからマスターしなくちゃいけない。
 ワールドカップでの日本代表は精神的な結束の強さや、FK(フリーキック)が2つ入る幸運なども手伝ってベスト16までいった。ああやって彼らが勝つことは大事だよな。サッカーに関心のなかった人たちがサッカーに興味を示すようになり、勝つことで閉塞感(へいそくかん)のある日本の社会に勇気を与えてくれた。ただ、守りのサッカーで世界に勝つことは難しいな。残念ながらワールドカップでの実力を見ると、普通にやったら日本は勝てないよ。自分たちからアクションを起こす攻撃的なサッカーでベスト4へ入るということを岡田(武史)さんも目指したと思うけど、大会前のテストマッチの連敗でそれでは勝てないという結果が出てしまったな。

 「問題は日本人の技術? そうだな、全然足りないよ。世界では通用しないな」

 テクニック重視のサッカーを推し進めてきた井田は日本代表の技術不足をズバリ指摘する。その原因として日本サッカー界全体のパスサッカーへの偏重、幼い頃のボールを触る回数の少なさを挙げた。「小さいときはまずテクニックだよ。日本人はボールを触る回数が少なすぎる。ボールを触るっていうのをオレはよく箸(はし)に例えるんだけどさ。箸を使うっていうのは子供のときにお母さんから教わって、最初は使えねえけど、教わってだんだん自由に使えてくる。飯食っているときにそれをどのくらい使っているかだな。朝昼晩に箸を使っている人と、昼はパン食ったりして1日1回しか使っていない人とでは差が出てくる。
 サッカーも一緒なんだよ。ボールを足で扱うスポーツだから、上手くなるために足で触る回数っていうのはすごく大事。オレなんかよく言うのは人がボールを1万回触ったら、(静岡)学園は10万回触れって。相手が10万回触ったら、学園は50万回、100万回触れと言っているよ。相手より上手くなるためにはそれ以上にボールを触らなきゃならない。
 
 オレは今、中学1年生を見ているけどさ、練習時間の90パーセント以上、ボールに触っているもん。ヨソみたくワンタッチのパス練習なんかやらない。普通3対3のボールポゼッションだったらワンタッチとかツータッチでやれというけど、オレは違う。そこでのワンタッチパスはいらない。同じ3対3でも、ドリブルしてDFを抜いてからパスを出せと。そうすると自然とボールタッチが増えて、テクニックも身につく。ワンタッチというのはボールを触る時間が1秒にもならないだろう。オレの発想だと小さいときからそれをやっていたら上手くならない。
 今の日本は小学生からパスサッカーだろ。みんなパス、パス、パス。ボールつなぐ練習しかやっていない。確かにそれはそれで強くなるんだよ。だけどワールドカップでゴール前に入って、とんでもないドリブルをしたり、イマジネーション溢れるというか見ている人の度肝を抜いたりするようなプレーは絶対に生まれてこない」。

 静岡学園の練習といえばウォーミングアップがドリブルとリフティングで、すぐにミニゲームやシュート練習。フォーメーション練習など戦術的な練習をすることは一切ない。とにかくどこよりもボールを触り、徹底的に個人のリズムとテクニック、そしてインテリジェンスを磨く。それは2002年にスタートした静岡学園中学の指導でもまったくブレることはない。ここでテクニックを磨かれた選手は三浦兄弟をはじめ、9月に日本代表デビューしたDF永田充(ながたみつる)(現アルビレックス新潟)やMF狩野健太(かのうけんた)(現横浜F・マリノス)らがいる。
 ただし、2005年度に高校日本一に輝いた野洲高(滋賀)など今でこそテクニック重視のサッカーが賞賛されるが、井田監督は常に評価を得てきた訳ではない。76年度の全国準優勝でサッカー界に衝撃を与えたが、「一般の人たちは画期的だと評価してくれたけど、日本サッカー協会だけはああいう(ドリブルとショートパスの)サッカーはダメだと。日本人の体質にあった、しっかり守って早いサッカーをしろと。直接言われたわけではなかったけど、大会を総括する機関誌には全部そう書いてあった」。
 テクニック志向のサッカーは当時の技術委員の指摘通り、結果には結びつかなかった。静岡学園は1979年からは13年間も全国から見放された。だが一貫した指導は実を結ぶ。Jリーグの創設により、Jクラブの下部組織に中学生の好選手が流れる中、静岡学園は3年間かけて無名選手を育てあげ毎年必ず1人はJリーグへと選手を送り出してきた。そしてチームは高校年代日本一を争う全日本ユース選手権出場9回などサッカー王国・静岡を代表する強豪となった。

 「指導者を始めた頃の目標はいい選手を育てて、その当時はプロがなかったから日の丸の代表にすることだった。ただ(20年連続でJリーガーが生まれたことは)それだけは不思議だよな。練習の仕方が良かったんじゃないか(笑)。静岡で負けても焦らず、毎年国体(静岡県選抜)選手は出ていたし、その中からユース年代の代表にもなったし。そして日本リーグやJリーグに入ってね。中学時代3年間でまったく県代表にもなっていないような子供たちが芽を出して、卒業する頃には周りに認められていった。
 
 実績に関係なく、上へいく選手というのは、入ってきたときに目と走り方を見れば大体わかるんだ。スムーズに素直に走れるとか、サッカーに適した格好いい走り方っていうのがあるんだけど、感覚でわかるね。そしてボールコントロール。何気なくボールを触るスタイル。横道にそれない限り、その勘は大体当たるよ。
 そして「目」。ひたむきにやるヤツっていうのはこっちの目をちゃんと見て話ができるし、練習でも試合でも一生懸命に人の話を聞いている。目があっち向いて話を聞かないヤツは本当にダメだよ」
 
「陰日なたなく努力すれば、必ず結果は出る。神様は見ている」。「努力は必ず報われる」。井田が選手にかけた言葉だ。高校生がサッカーだけに集中することは簡単ではない。ただ静岡学園の多くの選手がJリーグへ羽ばたいていった最大の理由はここにあるのかもしれない。「サッカー選手って言うのは努力によってある程度才能が開いてくる。その努力の仕方が、しつこく徹底的にやれるかだよ。多くの人は途中であきらめちゃうんだな。『オレ、もう無理』だとか言ってさ。今の高校生にもいっぱいいるんだけど、いい子も結局レギュラーになれないとあきらめちゃう。同じ年代の選手でもブラジルは違う。ブラジルなんか18までが勝負だから、もう必死になってやる。どんな苦労もプロになればステータスとお金が入るからさ。向こうは自分の人生かけてやっているから、子供だって日本みたいに甘くない。一方で日本の場合は、誘惑も逃げ道も多いから簡単に妥協して遊びにいっちゃう。日本の環境じゃ、サッカーにかけるというのは無理だと思うね。

 カズ(三浦知良)もヤス(三浦泰年)も学園に入ってきた当時はそんなに上手くはなかった。オレも小学校の頃からあいつらのことを教えていたから、確かにボールコントロールは同じ年代の中でも上手かったけど、フィジカル的な能力とか、足が速い、ジャンプ力があるとかそういう要素はなかった。ただ練習は一生懸命やっていたよ。練習の才能だな、あいつらは。ひたむきにやっていたから。カズがプロ目指してブラジルでやりたいと言ってきたとき、オレは『無理だよ』と反対したんだ。でも本当に努力で上手くなった」。

 選手をその方向へと導くのは指導者の仕事。指導者の熱い情熱で“選手の心の灯を点(とも)す”ことができるか。それで選手の将来も決まる。「Jリーグのクラブのない地方は別だけど、静岡のようなところではいい選手はみんなJへいってしまう。高校から突き抜けてくる選手っていうのはもう出てこないかもな。ただ、今回ワールドカップの日本代表の比率はクラブユースが4で、高校が19だろ。いずれ逆転するだろうけど、それにしてもJユースから育っていないな。小中高までの代表はユースのほうが多いのに。(伸び悩みについて)オレは指導者の問題が一番大きいと思う。
Jなんて現役引退して指導経験のまったくないコーチが、いきなりユースの指導をしている。2、3年の指導経験ではうまくならないっすよ。ベテランの下で5年、10年勉強しないと。いい選手が入っているのにもったいない。

 もしコーチの勉強をしに学園に教わりに来たら? オレの指導を見ていれば、それが教えだから、感じられるかだな。オレは日本サッカー協会のコーチングスクールのようなカリキュラムをつくってやんないけど、毎日、しゃべっている時だって常に練習方法を考えている。ダメだと思ったらメニュー変えて。いかにたくさんボールを触るかってね」。

 井田は常々「マラドーナのような選手を育てたい」と話してきた。井田は将来、日本からそのような選手が、また「技術が足りない」と評した南アフリカでの日本代表以上の驚きをワールドカップの舞台で与えられる選手を育てられると考えているのだろうか。「ある程度可能性のある選手は出会いだからな。狩野健太の時は『1000人にひとりの才能』と言ったけれども、そういう天からもらった才能。ナチュラルギフトっていうんだけど、そういうものを持った選手が出てこないと難しい。ただ、これからは小学生を指導する時間を増やしていきたいと考えているんだ。中学、高校からではできることが限られてしまうけど、もっと小さな頃から教えていけば・・・・・・。1人か2人、とんでもない選手が出てくるチャンスは間違いなくある」。

 固定観念に囚われない自由な発想。エリートを育てようなんて考えは毛頭ない。。全国大会で、年代別日本代表や静岡県選抜の選手を外して公式戦初出場の選手を平気で起用したりしてきた。チャンスを与えられた選手が羽ばたく姿を楽しんでいるかのような目で。成功したことも失敗したこともある。ただ、努力している姿をその目は絶対に見逃さなかった。「真剣さのみが人を人とし、努力の汗のみぞ天才をつくる」。高校生、そして中学生とどんな選手に対しても変わらぬ情熱で“心の灯”を点し続けてきた井田は、今後も努力が大きな花になる瞬間を見守り続ける。
 
井田勝通 Ida Masamichi
1942年生まれ、旧満州出身。3歳で帰国後、静岡県焼津市などで育つ。サッカーは城内中学1年夏に始め、主にフォワード。静岡高校を経て慶應義塾大学へ進学。同大4年時に慶應義塾高校を指導し県大会決勝へ導いたのが指導者となるきっかけ。その後就職した銀行を退社しプロサッカー指導者の道へ。1972年12月に静岡学園高監督に就任し、全国高校選手権優勝1回準優勝1回、全日本ユース(U-18)選手権準優勝1回。2002年に創設された静岡学園中でも全国制覇を成し遂げた。これまでに育てたJリーガーは61人を数える。2009年3月監督を退任。現静岡学園中高サッカー部エキスパートアドバイザー。